魔女狩り「桜の木の下には、屍体が埋まっている 」

美しいものは、ただ美しくあるのではない。それが美しいほど、見えない箇所には、陰惨なまでの恐怖が潜んでいるものなのだと言われることがあります。

 

この社会にも、陰惨なものは、広く潜んでいると思います。

人と人との不信の象徴と思える「魔女狩り」などの言葉を伴ってです。

 

「桜の木の下には屍体が埋まっている」という、文学上の表現があります。

 

このノートでは、この不可思議な言葉を、ルネサンス期のヨーロッパに重ね合わせてみます。

そうしてそこから、現代社会に潜む「不信」という陰惨な闇の姿を述べていきます。

 

ヨーロッパ・ルネサンス期という時代の概要

 

ヨーロッパのルネサンス期は14世紀から16世紀まで続きました。
キリスト教的な厳格なモラルに閉じ込められていた人々に、「人間の自由な思いを述べる」という概念をもたらしたのが、ルネサンス期なのです。

 

この時期、芸術から科学技術に至る広範なジャンルが、爆発的な開花を見せました。

ルネサンス期のこれらの作品群に重なるように、同じ時代に光と影のように関連して存在しているものがあるのです。

 

それはペストです。

ルネサンス期の始まりに重なる14世紀。ヨーロッパではペストが猛威を振るいました。

ウィルスや細菌が発見されていない時代に、突然周囲の人たちがバタバタと死んでいくのを見て、彼らはなにを考えたのでしょうか。

 

ルネサンス時代の画家、ブリューゲルは、人が何も知らずに安逸な暮らしをしている周囲にも、死神は群れ集まっているのだという絵画を残しています。

 

死の勝利 (ブリューゲル) 

彼らは、ペストの猛威を、「自分たちの世界には、目には見えない悪魔や死神が跋扈している」と捉えたのです。

 

不信の産物、「魔女狩り」の出現

ルネサンスポリフォニー音楽の天上的な清純さと、ブリューゲルの「死の勝利」の凄惨さは、とてもそれらが同時代にあるものとは思えないものがあります。

 

しかしそれらは同時代にあったのです。

ヨーロッパでは、14世紀のペストの猛威に続いて、15世紀に入ってから「魔女狩り」が盛んになります。

 

ペストを悪魔や死神の仕業とし、その後にやってきた、人間に対する魔女狩り

華麗なルネサンス期に重なって存在している闇の姿が、ここにあるのです。

 

魔女狩りは、キリスト教会が主導する異端審問の一環としてなされました。

しかし、教会単独の判断だけで、そこまでできるようなレベルのものだったのでしょうか?

 

一般民衆の「果てのない恐怖感」というものが基本になければ、いくら教会の権威が絶大なものであったとしてもできなかったでしょう。

社会の全体に蔓延する「見えないもの、理解出来ないものへの恐怖心」こそが、それを後押ししたと思うのです。

 

「桜の木の下に屍体が埋まっている」光景は、14~16世紀のヨーロッパ全体に、そのまま重なっているのです。

 

ルネサンス期に華麗に開花したものと、魔女狩りという「不信の産物」は、「満開の桜の木」と、「その地中にある屍体の姿」と言い変えられるものでしょう。

 

この現代社会においての魔女狩り

 

魔女狩りとはなんでしょうか?

周囲にいる人々が死んで行く場面を見て、細菌もウィルスも知らなければ、そこに「魔女」の存在は、必ず必要になるのでしょうか?

 

魔女狩り」という言葉は、この現代社会においても使われています。

不安を背景にして、原因もわからない何らかの問題が出現したときに、「悪魔と契約したはずの、疑わしき者」を探す、人の不信の産物としてです。

 

不安が支配する時代であれば、すくなくとも不安の根源に何があるのか、探し出し、光を当てる必要があるでしょう。

 

「それこそが原因のはずだ」との推測によって、根拠など瞹昧であっても、「犯人が見つけ出される」ことが、しばしば目撃されます。

それによって一時的な安心感を得ることができるからです。ようするに、「納得できればそれでよい」のです。

 

魔女は、「登場させられる」のです。 

ペストは人を死なせるものですが、ペストに恐怖する人々までが、「ペスト同様に、人を死なせていく」のです。

これが、不信の産物である「魔女狩り」というものです。

 

しかし、「魔女」が敵とされ、排除され、あるいは自分たちが逆に排除され、それが繰り返されれば、この世界はさらに混沌の闇の中に転落して行くでしょう。 

 

そんな時代、闇はただ闇だけを、連鎖的に生み出して行くのでしょうか?

闇はただ闇のままに、人の世界の中に拡大して行くのでしょうか?

 

「美」なるものは、なにから生まれたのか?

 

ルネサンス時代に築き上げられてきた多くのものに触れれば、その時代は、人の叡智が華麗な花々を咲き誇らせた時代だったと思わせます。

 

それならなぜ同じ時代に、「美」の奥底に潜むかのように、「凄惨な闇」が重なって存在するのでしょうか。

 

ペストの恐怖の中、魔女狩りを繰り返すしかない凄惨な社会が、そんな状態に苦しみ、天上的なものを求めている結果なのだとしたら?

 

人の苦しみそのものと言える「地中の屍体」が、「天に向かって咲き誇る桜の花々」を求め、咲かせようとしている結果なのだとしたら?

 

人の世界の苦しみこそが、その場所から高みにある「美なるもの」を求める奥底にあるものなのだとしたら?

 

闇があれば、そこには必ず残酷なまでに美しく咲き誇る花々があると言えるのではないでしょうか。

激動や混乱のもたらす闇は、それが終着点なのではなく、それこそが、高みに花々を芽吹かせ、成長させる母体であると言えるのではないでしょうか。